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2018年01月号

障がい者雇用で 注目された女性社長の 次なる目標は ダウン症の就労支援

樋口博美 サンキ会長

ひぐち・ひろみ 1968年大阪府生まれ。高校卒業後、福祉を学びにアメリカに留学。2年後に帰国、サンキ入社。小学生の頃から仕事に関わり中学生では友達をバイトに呼び親方を務めていた。21歳からは事務員として経理を学び、25歳で工場長、27歳で副社長を経て、98年30歳で社長に就任。障がい者雇用に注力。2016年6月に三喜を設立。17年にサンキ会長に就任。

障がい者雇用を推進

大阪府門真市にある梱包加工業を営むサンキ。現在はあられや煎餅といった菓子商品の詰め合わせや包装、箱詰めといった梱包を専門的に行っている、50年以上の歴史を持つ独立企業だ。メーカーや倉庫業のグループではない、独立系の梱包加工業専業の会社は関西でも珍しい存在だという。

このサンキが注目されるのは、その業態だけでなく、障がい者雇用を積極的に行っている点だ。現在の従業員100名のうち、実に17名が何らかの障がいを持っている。多い時には30名以上の障がい者が在籍していたという。その作業場では、障がい者と健常者がともに梱包作業をし、隣で一緒に仕事をする環境が出来上がっている。

7月に社長を息子に譲り、次の目標へ走り始めた樋口さん。

「障がい者雇用は当社の創業の頃から取り組んでいます。私たちには日常的なことで、それが特別なものではないんですけどね」

こう語るのはサンキ会長の樋口博美さん。30歳の1998年から約20年にわたって女性社長としてサンキを牽引してきた、パワフルな肝っ玉母さんのような存在だ。

樋口さんは、障がい者雇用に積極的なサンキの経営で大阪府から表彰を受け、社会的な評価も得ているが、2017年7月に長男である28歳の成泰さんに社長を譲った。決して院政ではなく、サンキの経営の第一線から身を引く覚悟を決めたうえでの禅譲だった。

樋口さん自身、先代社長の母親から事業を継いだのは30歳の時。小さい頃から「後を継ぐ」ことを前提として育てられたのだという。しかし、自身の社長就任は茨の道でもあった。

当然、前社長派のような派閥ができる。母親の右腕とも言えた幹部たちが、一斉に退職をしてしまったそうだ。

「会社がすっぽ抜けたんじゃないかというくらい、幹部がほとんどやめてしまったんです。いきなり丸裸状態で、事務所も現場も会社の業務が麻痺寸前になりました。

同じことを繰り返してはならない。船頭は2人いらないんです。方向性さえ間違っていなければ、社長を見守ることに徹したいという気持ちがありました」

5年程前から、従業員の採用面接は成泰さんの仕事になったのだという。樋口さんは関与せず、成泰さんの眼鏡にかなった人が入社をすることで、禅譲がスムーズに行えるよう気を配った。

後を継いだ成泰さんは次のように語る。

「ちゃんと計画を立てて後を継いだわけではないのですが、ある程度、私が責任を持たせてもらえるようになってからは、本当に口出しをすることはありません。7月に交代したわけですが、少し前から経営のほうには関わってこなくなりました。少しずつフェードアウトをした感じですので、私自身も会社も、ガラッと大きな変化は感じていないですね」

この日の取材はサンキ本社で行われたが、樋口さんが会社に顔を出すのは最近なかったのだとか。「パートさんからも『お久しぶり』と言われていましたね(笑)」(成泰さん)。社長交代は実にスムーズに、問題なく実現できたようだ。

さて新社長の成泰さんだが、巷で話題の〝人手不足〟は梱包加工業にも及んでいる。どの企業にとっても採用は経営課題だが、

「しかし、ウチは15年前から障がい者だけでなく、高齢者の方、生活保護の方、母子家庭の方、外国人の方など、積極的に採用していましたので、幅のあるノウハウを持っています。適材適所を早く見極め『自分の居場所』を提供する事が得意です」(成泰さん)

こうした梱包作業は、お中元、お歳暮シーズン前になると多忙を極める。人手はいくらあってもいいくらいなのだが、従業員の募集をしてもなかなか集まらない状況はある。機械化の推進などは時代の波と言えそうだが、創業以来つづく障がい者と健常者が一緒に仕事をするという信念は揺るがない。

「障がい者を雇用しているからといって、ミスが許されるわけではありません。むしろ、健常者だけの業者よりも信用・信頼を得なければいけない。そこで15年前にトレーサビリティを導入しました。ウチの扱う商品は150種類ほどありますが、加工内容を間違えずに作業していくために、それぞれの工程を記載した品質管理表を作成しています。15分に1度、工場内の全ラインの全工程を記録し、どこで誰が何の作業をしていたのかを把握できるようにしています。この1枚の紙を見れば、なぜミスが起きたのか、すぐに調べられる仕組みを構築して、クレームがあった場合にも素早く対応できるようにしています。また、この仕組みを導入することで、働く人も成長しやすくなっています」(成泰さん)

社会的弱者と思われがちな人たちを雇用しながら、企業としての信用を高めていく。経営理念は着実に受け継がれている。

ダウン症の人を用務員さんに

樋口さんは、息子に事業を承継しつつ、自らは「三喜」という別会社を起ち上げた。三喜では、今最も旬な企業主導型保育園を設立し、ダウン症の人たちを保育園の用務員として育成するプロジェクトを始めている。サンキの経営は成泰さんに任せ、樋口さん自身は三喜の事業に集中する体制に入るのだという。経営から身を引く決断をしながら、なぜ新たな事業に目覚めたのか。

「保育園を作ろうと思ったのは、ダウン症の子たちの現状を知ったのがきっかけでした。保育園は後付けです。私が高齢出産をしましたので、その時にダウン症の子が生まれる可能性を言われました。それを覚悟したうえでの出産でしたから、お腹が大きい間に、ダウン症の子が生まれたらどんなことが大変になるのかを調べました。いまは医学が進歩して、ダウン症でも長寿が実現しています。しかしながら、ダウン症の子専門の教育施設が日本にはない。それに驚きました」

(写真上)作業風景。障がい者も健常者も同じように働く。トレーサビリティの導入で信用・信頼をより強固に。(下)旧自宅を改造した保育園には子供たちの明るい声が響く。

樋口さんは高校を卒業後、福祉の勉強をするためにアメリカに留学している。その当時、アメリカではすでにダウン症専門の施設がつくられていた。30年以上経った現在でも、日本にはそのような施設はない。

「それって遅すぎませんか? ダウン症の子に特化した専門の教育をできる施設をつくりたい。というところから気持ちが芽生えていきました。内閣府が推し進める企業主導型保育園というのがあるのを知って、用務員さんを育てれば幼稚園や保育園の人手不足も解消されると、すべてが繋がりました。まず保育園をつくろう。本当に作れるのか動いてみると、苦労はあったんですが、作れました。ウチの保育所でダウン症の子を用務員さんとして育て、その子たちを他の幼稚園なり保育園なりに就職させていくことができれば、その施設も助かります。現状はどこの保育所も保育士さんが雑務までやらねばならず、負担が大きい。保育士さんが仕事に専念する環境をつくり、ダウン症の人の雇用を生み出すためにも、必要な事業だと思いました」

近年、行政もダウン症の人の就労のために軽作業等を行う自治体も増えてきている。しかし、賃金面の待遇は極めて低い。

「B型就労支援の枠に入っている方が多いため、1ヵ月の所得が平均で1万5000円くらいが基準ですが、実態は3分の1程度です。それではいけない。自立するためのお金を稼げるようになってもらうのが目的です。ひと口にダウン症と言っても、軽度から重度まで障がいの重さがありますから、すべての人たちとはいかないかもしれません。でも自分で動ける子に関しては、こちらが根気強く教えることができれば、育ってくれる。ダウン症のある方は、すごく精神が安定していますから、企業が求める姿に教育して送り出すことができれば、企業も助かる、ダウン症のある方も助かります」

三喜の保育所は8月に開所したばかりで、ダウン症の人もまだ研修段階にある。樋口さんはまだ「理想での話」と前置きしたうえで、次のように語る。

「1つのことに集中して同じことを繰り返すのは得意ですが、臨機応変に突発的なことに対応するのが苦手です。

保育所の用務員さんの場合、日々の作業がルーティーンで繰り返しの作業が多いので、2~3年のスパンで同じことを経験すれば、季節の行事や、日々の保母さんの補助などはできると思っています。庭の草むしりや調理の配膳、洗い物、洗濯物の仕分けなどの雑務は上手にできます」

社長を退いたとはいえ、事業意欲いっぱいの樋口さん。そのパワーの源泉はどこにあるのだろうか。

「私は、家業を継がなければいけないことに、すごく抵抗があったんです。親の引いたレールの上を走らねばならないことに。その時代は、選択肢がなかった。ないなら余計に求めたい、自由が欲しいと反発した気持ちを持ちながら育ってきました。でも実際、梱包加工業という仕事はすごく好きなんです。それでやってこられたのですが、心のどこかにそうではない自分があって。

34歳くらいの時に、樋口家として、家業に責任を持たなければならないのは50歳までにしようと決めました。50歳からは樋口家の責任ではなく、樋口博美としての人生を歩もう。40歳を過ぎた頃には、50歳現役引退と自分に言い聞かせていました。そこまでなら耐えられると(笑)」

樋口さんは数年前に屋久島に土地を購入している。ここは第2の人生の場所にする――はずだった。

「屋久島に移住して、ヨガの拠点をつくりたいと考えています。いまもヨガを続けているのですが、なかなか没頭する時間は取れませんでした。バリに行くと、いろんなヨガの拠点があって流派が違うので、様々なヨガが経験できるのですが、その日本バージョンを屋久島で作りたいというのが夢なんです。都会の人たちが疲れを癒しに来られるような場所を提供したい。

でも保育所を始めたばかりで、あと7年くらいは無理だと思います。60歳くらいまでにはなんとか(笑)。私は下請けとしての会社ではなく、自分がつくった基盤がどうしても欲しかったんです。それが保育所と障がい者の就労支援と障がい者のグループホームです。この基盤が整えば、屋久島に飛ぼうと思っています(笑)」

もともと樋口さんは長男に会社を継がせる気はなかったのだという。

「息子と娘には、会社を継がなくてよいので、できるかぎり自分たちの歩きたい道を行きなさいと育ててきたのですが、7年前の正月に、突然、『俺、手伝うわ』と。衝撃的でしたね(笑)」

長男の成泰さんは入社以来、樋口さんの呼び方を「お母ちゃん」から「社長」に変えた。それに対して樋口さんも社長の立場から成泰さんに接したという。

「彼がそう接して来るので、私もそう接する。本当に下足番から学んでくれたので、心強かったです。いまは三喜の事業についても『できることはありますか』と常に聞いてきてくれるんです」

成泰さんは、三喜の事業についても「全力でサポートする」と力強く宣言する。できた三代目が家業をより強くするのだろう。

2018年01月号 目次

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