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2018年09月号

創業40周年のステーキハウス 高収益を生んだ3つのこだわり

竹市靖公 ブロンコビリー会長

たけいち・やすひろ 1943年生まれ。愛知県出身。69年喫茶店を創業。78年ステーキハウス「ブロンコ」を創業。83年株式会社ブロンコ(現ブロンコビリー)を設立、社長に就任。13年社長を息子の克弘氏に譲り、会長に就任。

今年6月に創業40周年を迎えたステーキハウス「ブロンコビリー」。東海地方を中心に現在は関東、関西にも店舗を増やし、125店舗(2018年3月現在)まで拡大している。07年にジャスダック、12年に東証1部に上場し、注目を集めたのが外食産業では特筆すべき経常利益率の数字だった。05年に経常利益率17・2%を達成すると、その後も外食不況のなか15%前後の数字をキープ。今期の1〜3月の第1四半期も14・4%と高い収益性を誇っている。

 いかにして高収益体質を作り上げたのか、ブロンコビリー会長の竹市靖公氏に話を聞いた。

不得意なことはやらない

高収益体質を生んだ「3つのこだわり」について語る竹市会長。

── 今日は5月にオープンしたばかりの「ブロンコビリー新小岩店」でのインタビューになりましたが、出足は好調のようですね。

 去年、張り切って出店数を増やしたら、最初は来るけれども、なかなか客足が続かないという店舗がいくつかありました。人口が少ない地域は立地もあって、出店しやすいけれども、続かない。改めて家賃や採算を見直して、今年は15店舗の出店が決まっていますが、今年出した店ははじめから利益が出る店ばかり。とても親孝行な店です。いつも失敗しながら学んで手を打つ。失敗はイヤですけど勉強になりますね。無理をせず、ゆっくりとやっています。

── 経常利益率が10%を超え、それを維持するというのは外食産業では異色の数字です。

 自分で決めたんですよ。2001年に狂牛病(BSE)の問題で潰れそうになった時に、赤字に転落してマイナス8%。ふつうはゼロを目指すのですが、私は経常利益率20%を目指すと言った。

 その前に、コンサルタントについて外食産業で起こった低価格競争に立ち向かう戦略を立て、客単価を1700円から970円まで下げて客数を増やし、店舗を急拡大させていました。力もないのに5年で40店舗出したところでBSEに当たってしまった。売上53億円の時に38億円の借金を抱えてしまいました。そこで経常利益率20%を目指そうと。40年間やってきて、私の一番の自慢は、BSEで赤字に転落した2001年に社員が1人も辞めなかったことなんです。賢いやつほど、先が見えるから逃げていきますが、みんな付いてきてくれた。それが何よりうれしくて、みんながよくなることを優先しようと思いました。企業理念にもある通り、一番大事なことは「全従業員の永続的、物心両面の幸福」です。利益を出すことによって内部留保が厚くなれば、何かの時に従業員を守ることができます。株主には配当をきちんと出して、株価が上がれば喜んでもらえる。利益の数字に対しては執念を持って、厳しくやっています。

── 利益を重視しながら、社員教育にもお金を使っていますね。

 弊社は12月決算なのですが、05年は8月まで利益率が20%を超えていました。ただ、みんなに苦労をかけたので、途中で給料も上げてボーナスも上げたんです。自分は過去にアメリカに行き、たいへん感動してこの商売を始めたものですから、その原点を見てもらおうと従業員にはアメリカにも行ってもらっています。日本では味わえないものを感じてもらって、店長クラスはほとんどアメリカに行った経験があります。もちろん、アルバイトもパートの方にも行ってもらう。いまでも教育関係には3億円以上使っています。

 開店にあたって他所から人を集めることはできるし、実際仕事もできるのかもしれませんが、企業としての考え方、根っこの部分が違うので、バラバラになってしまいます。できるだけ会社の考え方を伝え、それを共有できる人たちでやっていきたい。いま社員が530人くらいいますが、9割は生え抜きです。店長をやってもらう際には、男性女性、国籍、年齢など関係なく、その資格がある人に店長をやってもらう。興味深いのは、どうしても店長から降格してしまうことがあるのですが、ほとんど辞めない。もう一度挑戦して、再び店長になるというケースが非常に多いことですね。

── 高収益体質に変革させるにあたって、どのような取り組みを進めたのですか。

 低価格にBSEで潰れそうになったので、もう一度、自分たちを見直して、価格競争に入らない世界で商売をやろうと。ブロンコビリーには3つのこだわりがあって、「炭焼き」のステーキに「サラダバー」、「大かまど」で炊いたご飯です。

 ご飯はもともと炊く機械が56台あったのですが、全部やめてかまどにしました。お米も魚沼産、なかでも津南町という標高200㍍の地域で、雪解け水で作られたお米です。またサラダバーも20種類を用意して、年に5回、サラダのメニューを変えています。昼も夕方もできるだけ新鮮な野菜を出す。そして炭で焼くというのは、結構、めんどうくさいし熱い。燃費も高いし温度が絶えず変化して難しいんです。でも、焼き鳥でも炭で焼いたものが美味しいでしょう。この3つにこだわって、お客様に提供する。

自慢のサラダバーの魅力について語る。 

価格競争になってしまうと商売がしんどくなりますから、他所では出せないものを1つずつこだわっていくようにしています。

 お米も津南まで行き、作っている人ややっていることを見て、肉も牛の顔、食べている餌を産地まで見に行って、それを仕入れています。

 後々本を読んだら、価格競争を避けたことで、ブルーオーシャンになっていたんです。例えば牛丼業界は20円30円の安さを競って体力を奪い合っていたでしょう。私たちは、自分が得意なこと、好きなこと、評価されることに特化して、不得意なことはやらない。ありがたいことにお客様は他の店を越えてブロンコビリーに来ていただけている。

「永続的」な会社へ

── そういった積み重ねが40周年に繋がったと。

 はじめはぜんぜん流行らなかったですよ(笑)。ステーキ屋を始める前に喫茶店をしていたのですが、確かに流行ってお金も少し残しましたけど、喫茶店では働いている人に高い給料を払えないんです。当時、外食産業は水商売だと言われたこともありました。アメリカでは大学にもホテル・レストラン科があって、人気で入れないくらいです。でも日本では低くみられている。それを変えていくには、価値のあるものを提供しながら、従業員を幸せにしていかなくてはならない。喫茶店の売り上げでは限られているので、ステーキを素人ながら始めたわけです。初めは1日4000円しか売れませんでしたけど、価値観を一緒にして目標を一緒にするために企業理念を作って、毎日、「東海地方屈指の外食産業を目指します」と言っていました。店は夜12時までだったのですが、月に1回、それから夜明けまでミーティングをして、何のために外食をやるのか、話し合っていましたね。40年経って、途中でいろんな大変なこともありましたけど(笑)。

── 13年には息子さんの克弘氏に社長を譲り、会長として経営に関わってきましたね。5年経って、事業承継はいかがですか。

 いま私は取締役会長ですが、先々、できればあと1年かそこらの間に会長は下りて引退しようかなと。前に行く時はみんなが押してくれたら前に出て、退く時は自分で退こうと。なぜ桜が人気あるかと言うと、散るからいい。月も満月から欠ける。そろそろ潮時かな。いま取締役に同じ苗字が3人いて、私と嫁さんが引退すれば会社のなかに竹市は息子の1人だけ。できればその次は、同じ苗字の人が1人もいなくなる会社にしようと。そうすればみんなの会社になります。

―― 実際、克弘氏の社長ぶりについてはいかがですか。

 私より頭がいいし、一生懸命やっています。でも少しだけ、本人も意識していますが、野性の勘みたいなものは私のほうがあるんです。ちょっと風向きが変わったかな、と感じられるかどうかは、私が失敗の数が多いからわかるのでしょう。社長は違うやり方でやればいいし、会社には優秀な人材もいますので、相談しながらやっていけばいい。本当はちょっと失敗するといいんだけど、上場しているといろいろ言われますからね(笑)。

── 株主の反応も気になりますね。

 そうですね。でも、業績がよくなると株主が減るんです。1万2000人いたのが8000人になる。少し前に最高値になったのですが、みんな儲かっている。おもしろいのは、ブロンコビリーは下がってもまた上がるだろうと、株価が下がればみんな買い始めて株主が増える。見ている角度が違うのでしょう。でも私は売るわけにはいかないし(笑)。

 個人的には、これまでの40年はおもしろかったですね。自分は1段ロケット、2段目にまたがんばってもらえればいい。外食は浮き沈みが激しいので、米国でも豪州でも、いいものが見つかればすぐに行って、いい材料を買わなければいけない。ほかよりも常に一歩先を行くようにする。世界中を回って肉を探し、ポテトはいまハンガリーから入れていますし、スパゲティはトルコです。ほかよりも努力をして、価格競争に入らない世界で、きちんと人も育てる。そしてお客様を大事にして、会社が続いていけばいいかなと。

── 3代目は考えていないんですか。

 一番優秀であればそれでもいいですが、従業員みんなのためになればいいのであって、こだわりはありません。新入社員も100人ほど入ってきているし、会社は私のものではない。でも婿養子なら優秀な人を選べるかな(笑)。

写真上/炭火焼もこだわりの1つ。 写真下/店内のビジョンにはサラダバーの補充状況などが映し出される。

── 最後に、50周年に向けての思いなどはありますか。

 私は考えてないね(笑)。こういう仕事だから、決して楽なものではないけれど、できれば従業員の子供が大きくなった時に潰れない会社を作ろうと、企業理念に「永続的」という言葉を入れました。その時に業界でトップクラスでなければ会社はもたない。会社ってそのままなら潰れるようにできている。みんなにとってよくなるように、がんばり続けなければならないんです。

(聞き手=本誌編集長・児玉智浩)

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