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2018年10月号

日中を股にかける 「ブッ跳び主婦」の半生

宮本ゆかり マザーハート社長

みやもと・ゆかり 1965年生まれ。84年ソニー入社、90年に結婚し、専業主婦に。93年、中国人の夫と共にマイウェイ技研を設立。子供を連れて中国に逆単身赴任などを経験。2012年マザーハート設立。通称「ブッ跳び主婦」。日本プロスピーカー協会認定シニアプロスピーカー。著書に『日本を元気にしよう』(ジーオー企画出版)、『ブッ跳び主婦、会社を興す』(シーエイチシー)、『ブッ跳び主婦、北朝鮮に行く』(新風社)など。

── マザーハートの事業についてお話し下さい。

セミナーや講演を通して、効果的なプレゼンの方法を伝えています。顧客は主に中小企業の経営者や個人事業主です。

事業をするということは、社員の採用からビジネスパートナーとの関係づくりまで、たくさんの人を口説いていくことでもあります。そこで事業のビジョン・理念・目標を明確に言語化して伝える力が必須なのです。いいものを持っていても、それを伝えられなければ埋もれてしまう。

一般的なプレゼンテーション講座は、綺麗によどみなくしゃべるとか、話し方・見せ方・間の取り方といった「デリバリースキル」を重視したものが多い。アナウンサーを目指すなら綺麗に話す必要があるでしょうが、私のプレゼンの目的は事業で成果を出すこと。訛っても、噛んでも、結果が出せればいいし、人の心をつかんで協力を得るために、逆算して話を組み立てる技術をつけてもらいたい。この「シナリオ設計スキル」に特化しているところが、ほかのプレゼンセミナーとは異なるところです。

そして、話を組み立てるためにはまず「あり方」が必要です。なぜ、この事業で成功する必要があるのか? 究極的には、どう生きてどんな死に方をしたいのかという問題にも行きつくかもしれません。その「あり方」も一緒に探っていきます。

夫を助けるため奮起

── なぜ、現在のような事業を始められたのですか?

私はもともと富山県出身で方言を持っていたこともあり、人前で話すことがコンプレックスだったんです。ですから話が苦手な人の気持ちがわかるし、話が伝わらない原因もわかるというわけです。

そんな私が、どうしてプレゼンや交渉をするようになったのかをお話しするには、私の夫について説明する必要があります。私は、夫の事業をアシストするために、実業の世界に入ったのです。

私の夫は中国人で、鄧小平の時代に日本にやってきた国費留学生です。当時中国はほとんど鎖国状態で、夫は日本の首都の名前もわからないまま留学してきました。大学卒業後に日本でエンジニアとして就職したあと、脱サラしてベンチャーを起業したいと考えます。それが1993年頃。私は専業主婦で、1人目の子供が生まれたばかりでした。

しかし問題が起こります。起業のための資金は用意できたのですが、当時、中国人は銀行に口座を開けないし、オフィスのための物件も借りられなかったのです。日本も中国人に対して厳しい警戒があった時代でした。

そこで、私が会社の立ち上げに駆り出されることになりました。経営のことなど何も知りませんでしたが、夫を助けるために一から勉強をはじめたわけです。

なんとか会社を立ち上げることができ、最初はエンジニア向けの回路設計支援ツールを開発。私は売り込みに回りました。夫の大学時代のツテをたよって大学の研究室などに納入してもらい、そこから電機メーカーにも納入が広がっていきます。

── その事業のなかでプレゼン能力が身に付いたのですね。会社が軌道に乗ったあとは、専業主婦に戻ったのですか。

創業12年目に3人目の子供に恵まれ、育児に専念するため現場を離れました。

その子が2歳になった2006年、会社が中国に進出することが決まりました。しかし夫は日本を離れることができない。再び私の出番です。子供たちを連れて、上海に現地法人立ち上げのために渡りました。

── ハードな決断だったと思いますが、中国語は話せたのですか?

「你好」「謝々」「再見」だけですね。言葉より、一番心配だったのは子供の健康です。日本に比べれば衛生的ではないし、住んでみて改めて感じる不便さもありました。

中国語を勉強しつつ、日本人のコミュニティから人脈をつくり、夫の親族の力も借りて、夫が中国に来られる拠点を築くことができました。2番目の子が日本の中学に受験を希望したことを機に帰国したのが2010年です。

異文化が教えてくれたもの

── まったくパワフルな経歴ですね。ユニークな日中友好のかたちでもあります。

一緒に働いてわかったことは、中国人から見ると、日本人は本音と建て前があって腹から通じ合えない人種というイメージを持たれているということです。中国人はある種ストレートで率直。こちらも本音で話し、一個人として付き合う姿勢で向かえば、向こうからも心を開いてもらいやすくなります。一方で、日本の精神性を忘れてはいけないと強く思いました。上海の現地法人では、社員に掃除の大切さや誠実なふるまいなど、日本の美徳を教えていました。

仕事以外にも、上海に在留時はさまざまなことがありました。上海万博(10年)に日中の母親を中心としたイベントを主催しました。帰国後もライフワークとしてそのつながりを継続する活動をしています。

帰国して2年後の12年、マザーハートを設立しました。会社は夫が日中を行き来しつつ事業を展開し、日本法人は別の社長が務めているという状況ができあがっていたので、私は改めて自分の仕事を持ちたくなったのです。

そのときに思いあたったのがプレゼンテーションでした。私には技術のことはわからないけれども、経営にあたってさまざまな立場の人に事業を伝え、どうすれば協力してもらえるかはわかっています。その方法をお伝えしようと考えたのです。

2018年10月号 目次

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